2020年10月23日金曜日

経済的な舌

 子供の頃、チーズと言えばプロセスチーズばかり食べていた。少し大きくなってからカマンベールチーズを口にしたが、皮の部分の味と食感が気になって、自分には合わないと思っていた。結婚してから出来心でカマンベールチーズにチャレンジしたら、意外とイケるやん!となって、以来カマンベールチーズを購入するようになったのであった。

スーパーで購入できるカマンベールチーズと言えば、大抵明治か雪印のものだが、北海道にはチーズ工房がたくさんある。コロナ騒動で、北海道の食品を買い支えなければ(手元に大した資金があるわけでもないのに)という使命感に駆られ、カマンベールなら大丈夫だと思って買ったのが、北海道クレイルのカマンベールチーズ・カレ。

普段カマンベールを食べるときは、6等分ぐらいに切ってその1切れを口に放り込むような食べ方をしていたので、同じように食べてみた…ら…口から鼻に突き抜けるような刺激!理科室で実験していたのを思い出すような香り!

カマンベールにはロングライフタイプと熟成タイプがあって、私が美味しいと思って食べていたのは加熱処理されているロングライフタイプのものだったらしい。やはり通好みのチーズを食べるには、私の舌じゃ未熟すぎるようだ。

他にも、道産のチーズをいくつか試してみた。チーズ工房NEEDSの槲(かしわ)は硬めだけど、味としてはコクがあって癖はなく、美味しく感じられた。他にも2つぐらい食べたのに、思い出せない…1つは、キャラウェイシードの入ったチーズともう1種類のオレンジっぽいチーズが一口サイズで詰め合わされていたもので、これは少し苦みがあるというか、お酒には合うような味で、私は割と嫌いじゃなかった。もう1つはチェダーチーズだったと思うのだけど…倉島乳業だと思ってたらメーカーの製品ラインナップにはない。加熱した方が食べやすいかと思い、ピザにして食べてたのだが、余ったのをそのまま食べたらそのままでも全く問題なかった。

というわけで、無難だと思っていたカマンベールが1番冒険したというお話。そして、こだわりのチーズばかり食べた反動か、最近は市販のプロセスチーズばかり食べている。やはり子供の頃からの味は安心して食べられる。チーズ好きを名乗れるようになるには、100万年ぐらい早いんだろうな。

《追記》詰め合わせの方はおおともチーズ工房の熟成ミックスチーズ、ピザにして食べてたのは倉島乳業の北海道ゴーダチーズと判明。サイトなどでは紹介されてないのね。

2020年10月11日日曜日

見えない敵と戦う

 北海道にはスギはほとんどないが、シラカバはたくさん生えている。なので、シラカバの花粉症の人が割といるらしい。あまり実感したことはなかったが、今年はどうやら飛散量が多かったらしく、家族が発症。そして、シラカバ花粉症の人は口腔アレルギーを伴うことも少なくないらしい。これも同時に始まってしまった…生のリンゴやモモなど食べると、口の中が痒くなったり喉がイガイガするとのこと。まあ果物だけなら避けられるし、誤食の危険もそうないのだが、今まで食べられていたものが食べられないのは、何となく可哀相に思ってしまう。

私もまったくアレルギーがないことはないと思うのだが、今のところ食に関しては影響がないので、検査などはしたことがない。小学校低学年ぐらいの頃、目が赤いと友達に言われたり、自分でも目が痒かったりして、親に訴えても「目薬さしたら」としか言われず、そういう体質かと思っていたが、案外花粉かダニかに反応していたのかもしれない。

花粉症の特効薬などないのは知っているが、何とか体質改善して症状を緩和するなり何なりできないかなぁと思い、よさそうな商品を探している。

まずは、雪印メグミルクの乳酸菌ヘルべヨーグルトドリンクタイプ。トドックでチラシが入っていて何となく買ってみた。すっきり飲みやすいとあったので、酸っぱくて甘いもの好きには飲みづらいかと思ったが、別にそんなことはなかった。これが効くなら、1本あたりの量も100gだし、続けやすくていいなあと思う。

それから、青汁。私自身が大して飲んだこともないのに、大昔「まずいっ!」とCMで宣伝されていたイメージから苦手意識を持っていて、自分では購入したことがなかった。とりあえず子供でも飲みやすい、と書かれていた東洋新薬の乳酸菌入り九州産大麦若葉の粉末青汁(COOPブランド)を買ってみた。牛乳に溶かすと飲みやすいとのことだったので、牛乳に溶かして飲んでみる。うっすら抹茶っぽい味で、グイグイ飲める。飲みやすすぎて効果はあまりなさそうな気がしてくる。

乳酸菌、乳酸菌、と書いているが、乳酸菌がよい説があるらしい。という意味では、糠漬けとかキムチとかもよいらしい。とりあえずキムチは入手しやすいので、キムチも買おうかなと思っている。糠漬けは家で漬けてみようかな、と思って調べたのだが、微調整ができる気がしなくて、なかなか手出しできない。糠を食べて味を覚えるとあったが、そんなに簡単に記憶できるのだろうか…それがうまくできるなら、料理の味付けも難なくできそうに思う。料理下手が美味しい糠漬けを作れる気がしない…

花粉症対策というのではないだろうが、私が子供の頃は家に何かしら栄養補助食品があった。大高酵素のスーパーオータカ、エビオス、ローヤルゼリーのカプセル、冷凍青汁の素、アムウェイのサプリ、DHCのサプリ、ヨーグルト味の錠剤…流行りがあったのか、ずっと継続していたものはなかったように思うが、体にいいからと言われて、青汁以外は私も飲んでいた気がする。効果はそれほど期待していなかったが、未だに慢性的な体の不調がないのは、実はこれらのおかげだったのか…?という気がしなくもない。

この話をしていたら「栄養を補っていたんだね」と夫に言われて、「補っていた…っていうかメイン?」と答えてしまった。

2020年6月27日土曜日

YouTubeは誰でもお使いいただけます

夫が、YouTubeの画面を見せて「ちょっと見てほしい動画があるんだけど」と言うので、魚を捌く動画かなと思っていたら、音楽の動画で意外と見入ってしまった。それがハードオフ社員、永田氏の動画であった。

基本的に私はプロ以外がアップした動画を見ない。素人はレベル差が激しく、あまりよくないものを再生してしまったときのガッカリ感を味わいたくないからだ。再生するつもりがないのに誤って再生したときは履歴から削除している。潔癖症。

しかし、永田氏の動画はワクワク感があって、次から次に再生してしまった。履歴が汚れた(酷い言いよう)という気もしなかった。動画自体が作り込まれているのもさることながら、本人の演奏・歌唱のクオリティが高く感じたのだ。

歳をとってしまったからだろうか、イマドキの歌にはついていけないし、ついていこうという意欲も湧かない。私の好きな歌を、高い歌唱力で歌ってほしい。高い歌唱力、という定義も人によるだろうから、私好みの高い歌唱力、という我儘ぶりである。

最近、デーモン閣下のGIRLS' ROCK Bestを聴いている。元々YouTubeで閣下の歌い方は好きだったのだが、その人が私の好きな歌をたくさん歌っているアルバムである。買うしかなかった。赤いスイートピーはあまり好きだと思ったことはなかったが、閣下versionは結構好きだ。アイドル松田聖子の歌だと捉えると、若干遊んでないか?と思わないでもないが、ひとつの作品としてまとまりがあって違和感はまるでない。

カバーとかパロディとか、やはり実力がないと出来ないもんだなと思う。いくらカバーだ、パロディだと本人が主張しても、実力がないと自己満足、下手したら失敗に見えかねない。

運転技術のある人が年季の入った車に乗っていると、「車好きなんだね」と評価されるが、ない人が同じことをやると、「車買い替えればいいのに」と言われかねないのと似ている…?

2020年5月23日土曜日

ウェーバー『無窮動』

10年以上前に買った電子ピアノが未だに家にあるが、アップライトピアノを購入してからはほとんど触ることがなくなってしまった。電子ピアノに慣れていると気にならなかったが、アップライトとは言え、本物のピアノの音色とタッチはやはり電子ピアノとはまったくの別物だ。

去年秋にヤマハが主催する、大人の発表会に出た。会場が思った以上に寒く、手が冷えてしまってうまく動かなかったのが悔やまれる。そして、リハーサルがないっていうのはなかなか辛いものなんだなぁと思った。子供のときは、リハーサルなんて面倒くさいとしか思っていなかったが…鍵盤の感触が家で弾いているものと全然違うのに、弾き始めたら弾き続けないといけないというのは。

ゆっくり始まる曲なら、あまり思わなかったかもしれない。プロの演奏会でも、最初は肩慣らしみたいなところから始まるような気がする。私が選んだのは、ウェーバーのピアノソナタ第1番4楽章『無窮動』。

電子ピアノを購入したときに、おまけで?50曲入った楽譜の本がついてきた。有名な曲ばかりなので大体弾いたことがあるか、聞いたことぐらいはあったので、ちょくちょくその中から適当に選んで弾いていたのだが、どうせなら全部弾けるようになっちゃえー、と思い、楽譜を見るだけではまったく魅力を感じたこともなかった、この曲を練習したのだった。

通して弾けるようになったものの、何一つ面白いと思えない。何故この曲が本に入っているのだろう。そして、そのまま放置していたが、あるときYouTubeでこの曲を検索したら、キーシンという名ピアニストの演奏が出てきた。どんな風に弾くのだろうと思って聞いたら

速い!!!!!

他にもいくつか音源はあったものの、彼ほどの圧倒的なスピードで演奏されているものは他にはなく、確かにこんな風に弾いたら面白いかもしれない、と思い、無謀な挑戦が始まったのであった…

勿論速いだけでなく、曲として聴かせる必要があるのだが、まず速いのが弾けない。20-22小節などの和音を含む右手のところがボトルネックになる。また、『無窮動』のタイトルどおり右手を動かし続けるので、最後の方で段々疲労が溜まってくる。

結局本番では余裕をもってゆっくりめに弾いた…つもりだったが、結果は散々だった。状況に応じた選曲は大切だ。が、私の弾きたい曲は子供の頃から派手なのばかり。昔は、今以上に「速いのが正義!」で、歌い上げるように弾くということを考えておらず、今思えば雑な演奏だったんだろうなぁ、と思う。他人の演奏もあんまり参考にしてなかったし…

という反省をできるようになっただけ、大人になったかもしれない。だいぶ遅いけど。

2020年5月16日土曜日

カマンベールチーズケーキがやってくる

最近、暇を見つけては夫が包丁を研いだり磨いたりしている。以前から気が向いたときに研いでくれていたのだが、この頃の研ぎようはそれとは比較にならない。家中の包丁を切れ味よくするだけでは物足りず、昨日はついに、職場の人から包丁を借りてきて研いでいた。

包丁を研いでいると、試しに切りたくなるらしく、休日は食事を用意してくれるようになった。YouTubeで見る動画も、去年あたりはキャンプものが中心だったが、近頃はiPhoneを覗き込むと、大抵誰かが魚を捌いている。

昔は、道具の手入れの重要性をあまり考えていなかった。今は、道具の手入れが大事だという認識は出てきた。しかし、自分では実行できていないという段階。いつか実行する段階に至るのか…

ピアノも調律が必要だ。前回は音がだいぶ外れていたので、調律していく間にどんどん音が合っていくのを聞いていると気持ちがよかった。今回はあまり音が外れていなかったようで、調律する必要あったかなと思った。時間も前回ほどかからなかったが、調律師の人が言うには、「音が硬かったので直しておきました」とのこと。やっぱりプロの人は素人にはわからない違いがわかるんだなぁと、試しに弾いたところ

音がまろやかになってる!

色々な人のメンテナンスのおかげで、私の生活は成り立っている。

2020年5月7日木曜日

むかわのししゃも寿司が食べたい

昨日の朝刊で、大学生の声を取り上げた記事があった。コロナで生活にどんな影響が出ているかというテーマで、アルバイトができなくなって生活が厳しいとか、イベントの中止でやることがなくなってしまったとか、色々あったのだが、その中に1年生になったばかりで友達もいないので、ゲームとYouTubeの日々というのがあった…

…それでいいのか、大学生!!

まあ、書籍を買うとなるとお金もかかるし、図書館が開いていないから借りられもしないし、どうしてよいのやら、というのはわからないではないけれども。ただ、授業が再開したとして、こういうタイプの人が目の色を変えて勉学に励むイメージは…持てないんだよなぁ。

YouTubeも最近は、教育系動画が結構あるみたいだし。きっと、それで勉強しているんだ!そういうことにしよう!!(何のために)

しかし、図書館での本の貸し借りだけでも何とかならないかなぁ。閉鎖期間が数か月にもなってくると、さすがに辛い。電子図書館もあるが、バリエーションに乏しいし、じっくり読みたい本は紙のが読みやすい。おばちゃんには。

さて、そんなおばちゃんは自粛期間中何をしているのかって、YouTubeでサンドウィッチマンとかラバーガールのコントを見てるときもあるし、札幌商工会議所の緊急在庫処分SOSのページを見て何を買おうか物色しているときもある。ゲームやYouTube三昧なのと大して変わらんやん、っていう。

北海道の食品関係の企業については、結構心配している。気になったサイトを覗いて『在庫なし』『販売終了』のような表示が出ているのを確認すると、ホッとする。我が家でも少しは買っているけど。お金と冷凍庫のスペースの問題で、なかなかホイホイとは買えない。

普段いかに色々な前提ありきで行動しているか、ということを否応なく突きつけられたこの度の騒動。からの新しい生活様式。ライフスタイルじゃなくて、生活様式っていうのは、やっぱり大きな変化を伴うことを強調したいのか。ライフスタイルだと、お洒落な生活というイメージになるけど、生活様式って歴史関係の文章でしか見ないような。意味するところは本来同じなんだろうが。それか、クラスターとか横文字じゃわからん、という批判に合わせたのかな。

2020年5月4日月曜日

昨日はお好み焼きを焼いた

我が家では、ローカルな情報が欲しいということで、道内シェアの大半を占める新聞を購読している。全国紙に比べると、やはり道内の情報が充実していて、そこはとても評価している。

が。

が。

が。

ガガガガガガガ。

政治について取り上げたコラムなどは、読むに堪えないことがよくある。先日、道知事について書かれていた概要。

「赤じゅうたんを踏む」は国会議員になることを意味する

鈴木知事は次の国政選挙で『赤じゅうたん』ではないか、と自民党関係者

国に先駆けて行った緊急事態宣言で巷では評価が高いらしいが、いかがなものか

今は国の対応待ちばかり

先の道議会での知事答弁は『赤じゅうたん』の水準に達している

このライターは、自分では皮肉も交えてうまいこと書いたつもりなんだろうな、と感じた。端的に言えば、鈴木知事は能力もないのに国会見据えて馬鹿じゃねーの、ということなんだろう。が、本人は一言もそんなことは言っていないし、関係者の発言も推測に過ぎない。

また、宣言が感染抑止になったとは言えない、と独自の緊急事態宣言を疑問視しながら、今は宣言を出した勢いは消えつつある、とまとめているのだが、ここが一番わからない。独自に動いても、国の対応を待っても駄目ならどうしたらよいのか。独自に動く人間は、独自に動き続けなければならない、ということだろうか。ライター(社)の見解はどこで明らかになるのだろう。

自分(会社)の意に沿わないことに、それっぽい根拠を並べて反論する(ぽい、だけなので論理的には破綻している)、というのは、文章を生業とする人間が一番やってはいけないと思う。文章量が短くて盛り込めないと言うのなら、そのテーマは止めて別の文章を書くのがよい。中途半端な文章はメモ書きと同じで、購読料まで払って読むようなものではない、と個人的には考える。

好意的に解釈すれば、知事にはもっと長い間北海道にいてもらいたいが、そう書くのも恥ずかしいのかプライドが許さないだかで、あんな内容になったのかなぁ、とも思う。小学生男子みたいなメンタリティだけど。

今日は蟹を食べるんだ♪

2020年5月2日土曜日

夕飯は肉を焼こう

月日は流れ、子供の頃には想像もしなかった状況になっていた…歴史や小説ならすんなり読めるのに、現実の方が雲をつかむような感じ。

気づけば、私もアラフォーと言われる年代に差し掛かり、若いときほど思ったままを述べることが躊躇われるようになった。久々にブログに書き連ねていたものの、ここに自分の精神年齢が晒されることになるのかと思うと、ちょっと怖い。閲覧人数が少ないからいいことにしようとしたが、割と近しい人しか見てないのだから寧ろ不安だ。

今更だが、文章を書くというのは難しい。感情に任せて書くと、支離滅裂だったり、あとから見返して非常に恥ずかしく思えてきたりする。若い頃は勢いがあってよろしいと大目に見てもらえるような気もするが…ユーモアを交えつつ、言いたいことをはっきり伝えるというのはなかなか高度な技術が必要だ。これを目指そうとしてそもそも論理も破綻しているパターンが、新聞のコラムなんかでもある。結論ありきで文章を構成しようとするから…

9月入学・新学期が取り沙汰されている。大阪の府知事なんかが騒いでいたようだ。一般人でも「これを機に」と賛成している人も一定数いるようだが、この混乱に乗じて、ということか。テロリストかな?

9月入学・新学期にすることのメリットが、留学がどうのとか受験がどうのとかで、私にはピンとこない。それでも、絶対反対というわけではなく、既存の枠組みで調整してやれることも多く、半年足らずで急ピッチで進める理由が特にないと思うのだ。目くらましにグローバルスタンダードなどと横文字を並べる人もいるが、グローバルって言いながら念頭にあるのは、欧米とか中国なんでないの?はっきり言えばいいのに。(エジプトも9月らしい)

ちなみに、自治体によってはオンライン授業が始まっているところもあるらしく、こちらの方が先進的である。自治体としてイケてないことを誤魔化して、話題をすり替えているのかも、という疑念も湧いてくる。

ただ、現状を何か変えてくれそうな何か、をまともな根拠もなく有難がる人が少なくないことにも驚きだ。こういう人らは、大して先を見通しもせず、誰かに何かをやってもらうという自覚もなく、やれやれと騒いで、いざやって失敗したら、政府が自治体がと言って誰かのせいにして騒ぐのだろう。学生まではともかく、社会人になってもこんな感じでいつでも消費者目線の人達というのは、不思議な存在である。本人の想像力の欠如で片づけていいのだろうか…しかし、ある一定以上の年齢になると、指摘されてどうにかなるものでもないだろうし…

とりあえず、倉岡のミルフィーユが美味しかったのは現実でよかった。

2015年12月6日日曜日

もっと早くに気づいていれば…?

先日、漢検準1級の合格証書が届いた。200点中179点。どんな漢字を書けばいいのか、まったくわからない問題が数問あって、そうなると自信があったはずの他の問題も段々自信がなくなって、後日届いた模範解答にもほとんど目を通してなかったけれど…

昔から試験は受けっぱなし主義で、答え合わせが大嫌いだった。別に解答を見ようが見まいが受けたものは変わりっこないんだから、という理屈はわかっていても、結果が出るまで未だに向き合えない。まあ、漢検なんてさほど差し障りのない資格ならいいが、よくこれで大学受験まで行けたもんだ、とは思う。大学受験については、受験勉強自体が現実からの逃避だったことに割と最近気づいた。「それだけで普通受からないよ」とakiさんには言われたが、現実が余程おぞましかったんだろう。

成績表に、次は1級に挑戦してみよう、ということで例題が載っていたが、まるで期待していなかったとはいえ、やはり1問もわからなかった。準1級ぐらいなら「そんな漢字、書けるの!?すごいね!」レベルだが、1級はもはや外国語である。漢字どころか、言葉すら聞いたことがない。1級を通常の資格試験同様の学習で乗り切るのは、モチベーションと時間の問題で常人には無理だと思う。1級から見た準1級は、準1級から見た5級と同じくらい、というのをどこかで見たがあながち外れていないのではないか。

長芋を初めて箱で買った。土付きの野菜は、新聞紙で包んでおくと長く保存できるらしい。昔、土付きの人参をもらったがすぐにヘニャヘニャになって、「うちは人参そんなに食べないから、こういう人参もらってもダメなんだ」と思っていたが、ちゃんと保存できるんだということを、これまた昨日知った。野菜や果物の保存って面倒に感じていたが、新聞紙に包むぐらいなら私にでもできるぞ。

もう年末なんだなぁ。1日1日はそんなに早く過ぎ去ってる気がしないのに、1年はあっという間のような気がする。そういう感覚も30を過ぎてからだ。割と遅い方かな?

2015年10月19日月曜日

あゝ無精

段々、冬が近づいてきた。この間まで窓を開けて扇風機を回して、「夜になっても全然温度下がらないなぁ」と思いながら、蒸し蒸しした部屋で寝転んでいたのに。最近は明け方にストーブがついているときもある。お風呂に入って浴室から出ると、空気が冷たい。

北海道で暮らしてから、レギンスが欠かせなくなった。タイツというものもあるけれど、私はレギンスが好きだ。靴下を気軽に着脱できないのは、ちょっとストレスなのである。その理由はよくわからない。足呼吸の度合いが人より高いのかもしれない。

もうすぐ漢検の受験日である。問題集は一通りやったが、復習がまだ途中である。一通りやった後、昨年度の過去問を解いてみたが8割は何とか超えられた。本当はもっと復習に時間を割きたかったが、まあ仕方ない。本番は勢い余って変な間違いしないといいのだけれど。キガをともにする、っていうのを見て、「お、私、飢餓って書ける!」みたいな。飢饉かな?あと、ヒョウタン相容れず、も「瓢箪!瓢箪!」とノリノリで書いてたし。

今日も皮剥き器で自分の指の皮を剥いてしまった。包丁で切っちゃった、というのはデキる人っぽいが、皮剥き器で剥いちゃった、というのはズボラな上にドジな人っぽい。ちなみに、絆創膏のことを北海道では“サビオ”と呼んでいる。私が小さい頃から馴染み深いのは“バンドエイド”。今では“サビオ”と呼ぶのにもまったく抵抗がない。親指の付け根にサビオを貼った。ほら、口もあまり動かさなくて済むし。やっぱりズボラか。

ブロッコリーの茎も葉も食べられる、というので食べるようにしている。解体が面倒だが、味は悪くない。とにかく処理したいだけのときは、先に茹でた後、マヨネーズなどと和えてサラダっぽくしたりチーズ焼きにしたり。市販のパスタソースを使うときに加えると、少し味の濃さが緩和される。少し手間をかけられるときは、ハンドブレンダーを使ってポタージュにしてみることも。

近況の羅列…。

2015年1月10日土曜日

葱では…葱なら…葱も…

この冬、よく葱を買っている。今まで食べるのをなるべく避けてきたが、そろそろ向き合ってみるべきかと(大袈裟)。水炊きに入れたり、チャーハンに入れたり…年末には鴨南蛮蕎麦を食べた。これについてはakiさんに作ってもらったのだけど、甘みがあってかなり食べやすい葱なんだろうとは思った。理屈ではわかるのだが、それでもやっぱり私には食べづらい。「すっごくいい人だとは思うんだけど、やっぱりお付き合いはできません!」みたいな。って、葱が私にアプローチしたわけではないが(そら、そうよ)。

それでも懲りずに葱を買う。ちょっと在庫が増えすぎたので、古いのから消費しようと思い、昼に牛丼を作ることにした。akiさんは刻んだのをかければいいんじゃないかと言ったが、私が青い部分を生で食べられないんだ。ということで、炒めて煮ることにした。味付けは面倒なので、焼肉のたれ(『わが家は焼肉屋さん』の中辛)と砂糖で。

フライパンで斜め薄切りにした葱(今回は青い部分しかなかった)を炒めて、少ししなっとしたら牛肉(小間切れ300グラム…3人分ぐらい?)を炒める。肉に火が通ったら、砂糖(大さじ1)と焼肉のたれ(適当)と水(適当)を入れてグツグツ。美味しそうになったら、できあがり。私のレシピ、アバウトすぎ!!

すると、あら不思議!考えればわかるけど、全然葱の臭みがないではありませんか! 葱好きには顰蹙を買う作り方。でも、葱が食べられないお子様には好評ですよ!多分!

そして、夜はカレー…今日は楽しすぎだわね(^^ゞ

2015年1月9日金曜日

入眠妨害儀式

もう1年の1/60が終わってしまったかと思えば、1/52も過ぎてしまった。そうこうしているうちに1/26が経過しようとしている。分母が劇的に減ると何だかとてつもない時間が流れているように見えるという数字のマジック…か?

最近寝つきの悪い日が増えた。つい2、3日前も全然眠れず、「ああ、もう4時かぁ…」などとボヤーッと時計を見たものである。でも、案外元気で昼寝も多少ウトウトしたぐらいで、特にその日の活動に支障はなかったので、単に疲れていなかったのかもしれない。それともその日はひたすら妙なハイテンション状態にあった…?

漢字を書いていると脳が興奮してくるようで、これが入眠にはよろしくない気もする。しかし、一番落ち着いてできる時間が夜なんだよねぇ。と言いつつ、やらない日が続くときもありますが。

“戚む”は“いたむ”、“戚える”は“うれえる”と読むのを、ついこの間知った。この字に関しては“親戚”・“縁戚”ぐらいしか熟語を知らなかったので、「近い」みたいな意味があるんだろうとスルーしていた。我が母校の卒業生なら読めて当然なものだろうか。

“憾む”は“うらむ”と読むが、文脈によっては「残念、未練」のような意味らしい。小学生ぐらいのとき、『知ってるつもり?!』というテレビ番組(多分)で滝廉太郎が取り上げられた。その終わりの方で、亡くなる前に『憾』という曲を残したと聞いたとき、「怨恨」の方を想像して怖くなったが、当時の恐怖は全くもって見当違いだったのである。

ブログ書くのも入眠にはよろしくないだろうなぁ…⊂ミ⊃^ω^ )⊃ アウアウ!!

2014年12月30日火曜日

キレイキレイ

12月に入って雪が随分積もったのだが、今日一気に解けてしまった。そんな夢を見た。午前中に異常気象をテーマにしたNHKスペシャルの録画を見ていたせいかもしれない。窓から見える景色はやっぱり真っ白だったので、残念なようでホッとした気分でもあった。

さて、我が家ではまたあの議論が再燃。あの議論というのは、例えば頬にご飯粒がくっついている相手に何と教えるかという話。akiさんは相手の右頬にくっついていれば、自分の右頬を指して教えるということで、それが世の中の多数派だと言う。私もそう思う。が、私は左頬を指してしまう方である。自分が相手の鏡像になるというか。そうすると、大抵相手は逆側を確かめるのである。二度手間だなぁと思いつつ、止められない。止まらない。かっぱえびせん。

しかし少ないとは言え、世の中には鏡像派もいるのではないだろうか。私が自分のやり方を変えないのは、自分が身をもって示すことで仲間を探したいのかもしれない(どれだけ孤独なんだ)。鏡像同盟、メンバー募集中。

どんな人にも一発でわかってもらうには、どうしたらよいか。 いっそ相手の方に手を伸ばして「ついてるよ」と言えばいいのではないか。すると、akiさんは男がその方法をとると、セクハラにとられかねないと言う。確かに。「じゃあ、鏡を持って『ついてますよ!』って言うとか」「鏡があればね^^;」…まあ、こっそり教えてほしい人もいるしなぁ…

みんな、お口の周りは念入りに綺麗にしておこうね☆

2014年12月28日日曜日

努力ロンダリング

昨日、akiさんに鱈を買ってきてもらおうと思った。その他買いたいものを色々並べていたら、忘れそうだからメモすることになった。卵とか蒸しパンとか言っているうちに、鱈を含めるのを忘れていた。akiさんが帰ってきて、しばらくしてから冷蔵庫の中を見てみるとやはり鱈がない。「ごめん、鱈って言い忘れてたよね」と言うと、「買ってきたよ。チルド室の中に入れといた」とのこと。チルド室って何…ああ、この引き出しのことか…

我が家の冷蔵庫にチルド室があるということに、昨日初めて気付いた。個人的に、昨日まであのスペースは特別なものを入れておくところだと思っていた。特別なものって何かって言われると、そんな特別なものは何も食べていないけれども、強いて挙げればベーコンとかピザ用のチーズとか…割と使いやすい食品?

 漢検の準1級を受けてみようと思い立った。と言いつつ、なかなか勉強は捗らないが…とりあえず去年の過去問は3回分解いてみた。正解率は40%前後をウロウロ。ちなみに、合格点は80%以上(難易度関係なし)。自分がそのスコアに到達する姿が想像できない。

世の中には四字熟語があんなに溢れているのですね。ほとんど知らないものばかりだし、知っているのも漢字は書けない。四字熟語どころか、単なる読みの問題ですら結構わからない。そんな準1級ですが、1級と準1級の差に比べれば、準1級と2級の差なんて屁みたいなものらしいです。漢籍、旧字旧仮名バッチコイ、という方は挑戦してみるとよいのでは。

母語のくせに、日本語をあまり使いこなせていない感がある。まあ、普段の会話で四字熟語とか慣用句とか多用していても、逆に笑いを取りに来ている、ふざけているのではないかと思われそうだが…母語での思考がしっかりしていないのに、日常会話だけ英語でできても、薄っぺらい気がしてならない。どうしても英語圏で生活しなければならないならやむを得ないが…日本で「すげー」「まじ?」「うそー!」しか語っていないのに、欧米で急に思想・思考を話せるとも思えない。まずは母語でしょう。

と思ったんだけど。挫けそう。これまでの読書量もそんなにないしな…我が家に幸田露伴の『努力論』があったが、ページをパラパラとめくっただけでクラクラ。露伴って名前は渋くて好きなんだけど、名前だけで本は読めませんね。

それでも、他の実用的な資格に比べると頑張れそうな気がする。私はどうも身近な他人と競い合うのが嫌なのか、マイナーなもの、マニアックなもの、実用的でないものに惹かれやすい。結局入ってからがどうにもならなそうだったので諦めていたけど、もし医学部に入っていたら法医学をやってみたかったなぁ。大体、医学部に行くって言うと、「じゃあ、俺(私)の病気も診てね」って言われるけど、「じゃあ、俺(私)が変死したらその原因をしっかり調べてね」とは絶対に言われない。そりゃそんな物騒な発想はなかなかしないでしょうが。

THE MANZAI2014の録画を見た。決勝組のネタは割と面白かったが、気に入ったのは博多華丸・大吉の「他人の子とゴーヤは育つのが早い」「腰痛持ちと女の一人旅は足を伸ばしたがる」みたいなフレーズ。説得力はすごいんだけど、対象の並べ方が突拍子もないというか思いつかなかったというか。

そんな年末。

2014年12月26日金曜日

だが断る!

半年前は『花子とアン』が放送されていたのかぁ…『マッサン』はなかなか連ドラにしては見ごたえがあります。伏線があってちゃんと回収される(前作は「伏線?何それおいしいの?」状態だった)し、堤真一が男前だし…玉山鉄二はSHAZNAのIZAMにちょいちょい見えて、それがときどき気になる。が、まあウイスキーに手を出したくなる程度にはいいドラマです。今度はガラナで割ってみよう。

色々書きたいことはあったのだけれど、書き出すと愚痴になりそうだし、かと言って書かないと心の中に澱が溜まってしまう気がする。

というわけで、当たり障りのないことを書こう。いや、あるかも。

マタニティヌードというんだろうか、お腹しか出てないのはヌードではないのかな、ああいう写真を公開している人ってどういう気持ちなんだろうか。

プライベートで記念に撮っておくぐらいはわかるんだけれども、それをSNSの自分の写真にするっていうのは…何だろう、用を足す姿を見せてるぐらいの気持ち悪さがある 。いっそ「ここから赤ちゃん出てきまーす♪」って大股開きの写真にした方が清々しい。って、即(ノ゚Д゚)八(゚Д゚ )ノタイーホでしょうから、清々しくはないか。

 「妊娠しても綺麗でしょ、私」って言いたいのかしら。本当にそう直接言葉にしてくれれば素直なもんだと思いますが、大抵こういう人って「たまたまうまく撮れたの~♡」とか謙虚ぶっちゃうのがアガアガアガ。向こうが無理して褒めてくれてるんだから、素直に褒められとけって(*´艸`*)

でも、こういう考えって少数派ですかね。実は(というほど知って驚きも感動もないけれども)昔は私も謙虚ぶってました。褒められても「そんなことないです~…」とか何とか言って。あるとき、そんな状況の中、サークルの先輩(女子大の人)から「そういうときはありがとうって言えばいいんだよ」と注意され、当時は「謙遜ってダメなの!?」と考えたものですが、色々考えた結果、現在は「よし、素直にお礼を言っておこう」ということになりました。その方がどっちに転んでも、褒めてくれた人に微妙なしこりを残さないかと思って。当時の私は卑屈すぎて人からよく注意を受けたので、その先輩が言ったのは別の意味だったのかもしれないけれど…まあ、いいんです。今の私が納得できれば。

私が不寛容なのは、その納得できる幅が狭いということかもしれない。不寛容なのかなぁ。世の中、寛容なつもりでもっと理不尽な人も少なくない気がするが…気のせいかもしれないねぇ。統計とったわけじゃなし。理詰めで説明してもらえれば、理解はできる方だと思います…え、そんなの当たり前だって!?いや、世の中自分の信仰以外はどんな説明も受け入れない御仁もいらっしゃってですねぇ…

自分の狭量さをブログを通じて世界に向けて発信しているのも、大概恥ずかしいものですね。でも、こういう人間が存在するということで、誰かの支えになったり誰かに共感されたりしたい、というほんのわずかな可能性にほんの少しだけ期待して、言葉を紡いでいるのかもしれない。

だったらまず、更新頻度を上げるべきだな( ー`дー´)キリッ

2014年6月16日月曜日

能あるはなは詰めを隠す

昔は朝の連続テレビ小説なんて誰が見るんだろうと思っていた。

今の私です\(^o^)/

『純と愛』の総集編を見て、「何じゃこりゃ。ヘンテコだけどつい見てしまうな」と思いつつ、『あまちゃん』はたまたまテレビをつけたときに映っていた役者の演技が学芸会レベルにしか見えなかったのと、世間の人達があまりにじぇじぇじぇじぇ五月蝿い(私の周囲にはいなかったけど)ので鬱陶しくなって全然見なかった。

私が本格的に見だしたのは『ごちそうさん』からである。予告編で見た料理が美味しそうで、美味しそうな料理を見ているだけで幸せな気分になれる私は、「よし、見よう!」と心に決めたのだった。ヒロイン役の杏の顔は、もう杏にしか見えない!といった癖のある顔だと最初は感じていたのだが、毎日のように見続けるとは凄いもので、途中からめ以子(ヒロインの名前)にしか見えなくなった。というより、杏の演技が上手かったからかな?

そして、今は『花子とアン』を見ているわけだが…。まあ展開が気になるっちゃ気になるし、割と楽しみにもしているのだけど、時々「ん?」と引っかかる箇所がある。

先週見たのでは、はな(ヒロイン)が教師を辞めて専業作家になるため上京することになったのだが、いつもはなに「女はとっとと嫁に行け」のような嫌味な言葉を浴びせかけていた緑川先生(同僚の教師)が、「元気で頑張れ」と声をかけ、はなちゃん感激!というシーン。緑川先生は心から応援しているのだろうか。本当はせいせいしているんではないだろうか。はなの祖父が亡くなったとき(先週放映分)も、「おじいさんも君の花嫁姿見たかっただろうねぇ」とか何とか言ってたぞ。何でそんなに素直に言葉を額面通り受け止められるんだ。

そもそも娘時代からはな役が吉高由里子になった時点で、ヒロイン1人だけがフワフワした存在になっていた。子供時代のはなは、訛りで注意されるし、マナーも身についていないし、英語の授業には全然ついていけてなかったのに、娘時代のはなは訛りもなく、英語の成績は常にトップ。努力してそうなったということだろうけど、そのプロセスについては何も描写がなかったので、私にとってこの2人は別人にしか見えない。急に降って湧いた吉高さん。

地元で教師をしているときも、周りの家族は小作農家らしい身なりで顔も日に焼けて黒いのに、吉高さんは小綺麗な格好で生活苦のないお嬢さんに見えてしまう。生徒達から若い女の先生だというので舐められていたはずなのに、視聴者の知らない間に慕われる存在になっていたり…はなってきっと魔法使いだったんだな、というぐらい順風満帆な人生を送っているのであります。

何だかんだ言いつつ、きっと明日も見るんですけどね。

2013年10月16日水曜日

ぎゅっとしてみたり しゃんとしたり

大学時代はなぜあんなに馬鹿みたいにブログを更新していたんだろう。まあ、馬鹿みたいっていうか馬鹿だったんですが。

一昨日だったかakiさんと話していたら、大学時代に会心の出来だと思えたレポートは2通ぐらいしかないと言われた。私にはそんな風に思えたレポートなんて自慢ではないが、いや、もう自慢かもしれない、ひとつもない。成績表の話で言えば、優・良・可・不可の優もいくらかはあったが、教授が優しかったか甘かったか何かしら反応したら優をくれるシステムだったかに思えてならない。

「卒論はタイトルしか覚えていない」とakiさん。「タイトルも覚えてないや」と私。ダメ人間すぎる。今の私が高校時代の私にアドバイスするとしたら、「高卒で就職してもいいんじゃない?」ってことだろうか。高校時代もぼんやり考えていたけど、周りになかなかそういう人がいないし。高卒で一旦就職したものの短大に入り直した、 部活の2年先輩の女の人はいたけれど。マイペースなりに自分で決めて行動するというのが、格好良く見えたなぁ。ほんの少しの勇気と行動力なのに、意外と出せないもんです。

…ってこんな反省会をするつもりではなかったんだった。最近ハマっているものについて書こうと思っていたのだ。それは、スポンジ。特に食器洗い用のスポンジを見ると、しばらくそこでウィンドウショッピングしてしまう。

きっかけはマーナのおさかなスポンジを使ったことだった。自分で買うと値段重視で、イ○ンの安いプライベートブランドのスポンジなどを使っていたのだが、すぐにへなへなになるし、食器洗いは苦にしか感じられなかった。でも、おさかなスポンジは可愛いし結構丈夫で、洗い物が大量にあるとかでなければ、むしろ進んで食器洗いしたくなる洗い心地なのである。

今は、やっぱりマーナのおはなスポンジを使用しているが、個人的にはおさかなの方がたくさん洗うには向いていると思う。おはなは握りつぶしてしまいそうで、若干不安を感じてしまう。ちなみに、おはなスポンジは近所のイオンで買った。このイオン、食器洗いのコーナーはほとんどマーナで占められていた。むしろ安いプライベートブランドのがひとつもなくて驚きだった。近所の奥様方のニーズに合わせた結果なのかしら。

変な趣味かと思っていたけれど、ネットで見ているとスポンジ好きな人は一定数いるようだ。主婦にはキクロン、ダスキンも人気みたい。 へたらないというので。店で触った感触しか知らないけど、キクロンの研磨粒子入りの不織布部分は鍋なんかゴシゴシ遠慮なく洗えそうで、ちょっと欲しくなった。メーカーのページで色々探すのも、また楽しい。

というわけで、最近になってようやくホームセンターとか雑貨屋に行くのが楽しい人の気持ちが、少しわかるようになったのでした。

2013年8月6日火曜日

重そうで重くない少し重いテーマ

今日は広島に原爆投下された日というので、子供に戦争をどう伝えればいいか、というテーマをテレビで取り上げていた。

私が通っていた小学校は、特に空襲が酷かった地域にあったわけでもないと思うのだが、やたらと平和教育とやらに熱心だった。毎年夏になると原爆関連の資料・絵画展なんかが開かれて、クラス全員でワラワラと見に行ったものである。2年生のときだっただろうか、原爆で焼けただれた人の絵などが展示されていたのを見て、男子が1人気分が悪くなって退出したのは記憶に残っている。何が描かれていたのかなどは、よく覚えていない。

小学生だった私は、何か惹きつけられるものがあったのか、戦争関係の本を繰り返し読んでいた。『ガラスのうさぎ』とか『ふたりのイーダ』とか…『ヒロシマのうた』というのもあったかも。今大人になった自分から見たら、この執着っぷりは大丈夫か心配するのではないかと思われるぐらい、のめり込んだ時期がある。理由を考察してみるに、戦争が遠い過去の話となってしまった世代の私にとっては、こういった話はファンタジーの1ジャンルぐらいの捉え方だったのかもしれない。その証拠(?)に、今でも「核兵器廃絶を!」「戦争は悲惨だからやってはいけないんだ!」などと強く思ったり主張したりするようにはならなかった。もちろん、平和な世の中であるに越したことはないのだけれど。

話は戻って、テレビでは親子で原爆資料館のようなところに行く、語り部から話を聞く、などという試みが放送されていた。しかし、そういうところで見聞きするものって、悲惨さばかり強調されるのね。罪のない市民が巻き込まれた、みたいな。関係ないけど、この“罪のない”という表現、私は嫌いです。“罪のない”人っていうのは、犯罪者じゃないってこと?逆に言うと、A級戦犯なんかは殺されてよかったってこと?人間というのは、罪はなくても業というのは多かれ少なかれある、と私は考えている。ただ、業があるから殺してもいい、ということにはならないし、罪がないから殺されるはずがない、ということにもならない気がする。言葉の綾に噛み付きすぎかしら。

ともかく、戦争を伝える=太平洋戦争の悲惨さを伝える、ということになってしまっていて、「過激な展示もあり、子供に見せるのは躊躇してしまいます」という意見も出る始末。 小学生ぐらいだと、それが手っ取り早く戦争を伝えられる手段なんだろうか。手っ取り早く伝えることに意味があるのか知らないけれど。何が変と思うかって例えば、津波に気をつけようというときに、水死体の絵だか写真だか見せて終わりにするのか、っていうこと。具体的にどう逃げるか、どこに逃げるかという話をするでしょう。

「戦争は国のお偉方が決めることで、罪のない市民がどうにかできるものじゃない」と言うのなら、平和教育の有効性を自ら否定する矛盾に陥ると思うのだけれど。デモも座り込みも無意味だから止めればいい。目的を忘れて、あるいはそもそも考えずに手段に酔っているだけ。

戦争を経験していないからこそ、客観的に捉えられるものがあるのではないだろうか。経験者に共感しているだけでは、そういう体験もあっていいけれど、前に進まないし。本当に太平洋戦争について考えたいなら、まず明治からの日本の政治・外交について徹底的に学ばないと。その手間を惜しむぐらいなら、何も教えない方がよい。知識・教養の二極化が進むかもしれないけれど、状況は大して変わらないのではないか。

2013年7月12日金曜日

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決して忙しすぎてネットなどしている暇がないわけではない。が、やはり何らかの意見なり感想なりをまとめようとすると、途端に指が動かなくなる。こういうとき、“腰が重い”というのは適当な表現なのだろうか。「いや〜、腰が重くってブログの更新ができないんですよ」って、変な感じ。情報端末を持ち歩くこんな時代にふさわしい表現とは。

割と前になるが、村上春樹の『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』を読んだ。本当は読むつもりなどなかった。私は素直ではないので、メディアで頻繁に取り上げているものには手を出したくなくなるのだ。みんなミーハーだなぁ、と思っていたら、お義母さんが読みたかったそうで、akiさんが買ってきた。「先に読んでもいいって」と言われ、結果的に私が最初に読んでしまった。傍から見たら、私がミーハーにしか見えないよね。

私は文学の解釈というものが苦手で、小説を読んでも基本的には娯楽として消費しているだけである。文藝春秋6月号で、石原千秋が夏目漱石の『こころ』と村上春樹の『ノルウェイの森』の共通点は何かについて書いていて、その『こころ』の解釈に新鮮な驚きを覚えた。この記事を読んだ直後は、小説の解釈って面白そうだなと思ったが、あまり深入りすると何のため、誰のための解釈なのかという問題になりそうな気がして、結局こういうのは一部の頭のよい人が生活の片手間に知的な遊びとしてやるぐらいがベストではないだろうか、という結論に至る。そして、私の小説を読むスタンスも変わらないまま。

村上春樹の作品でも、「共感できる」「わかる」と言う人は少なくないが、彼の作品に限らずほぼすべての小説について、私は「わかる」と言えない。あそこに書いてあった文の意味がわからない、主人公の気持ちは何でこうなるかなー、など自分の頭脳と感性では把握しきれないことがあると、例えある部分の文章が自分が考えたことと何らかの一致を見たとしても、それで理解したとは言い難い気がしてしまうのである。結果が15であっても、そこに至る式は3+4+8かもしれないし、あるいは私にわかっているのは3+4+△+○ということだけなのかもしれない。

私がやたらと“わかる”を神聖視しているだけで、別にそんなに深い意味はなくていいのかもしれない。少しでも似たようなことを考えたことがあると感じたなら、「わかる」と言ってしまっても問題はないのだろう。そもそもこんな話で嘘をついたところで、誰も迷惑を被らないわけだし。しかし次には、そんな表層的な言葉のやりとりで虚しくないか?、と思ってしまう。まあ、私も物事の本質を考えることは嫌いではないが、本質に迫れているかとは別問題であって、実際に私と話すと虚しい思いを抱く人が大勢だったりして。

“成長する”も自分に対して使うには、抵抗がある。多くの場合、「私、成長したわー」というよりは「成長している気がしない」という文脈で使われるように思うが。前者も皆無ではない。個人的には、神経がまともなら成長なんてそう肯定的に捉えられないものだと考えている。例えば、全然ギターが弾けなかった人がコードを覚えてポロンポロン鳴らせるようになったら、それは成長したと言えるかもしれない。が、それはゼロからの進歩だから大きく感じられるのである。0→1と99→100では感じられる進歩の度合いは違うに決まっている。

最近は何でも前向きに言うのが流行りなのか、「今まで全然そんなこと考えたことなかったんですけど、今回のことで学びました~」と宣う人をよく見る。そういうのを見るたびに、今まで何も考えてなさすぎるだろうと感じることがほとんどだ。今知ってさえいれば(それも怪しいが)、過去知らなかったことは恥でも何でもない、という感覚はちょっと理解し難い。「昔は万引きなんかよくやったもんですけど、今は落ち着いて結婚して子供もいます~」と平気で公表できるメンタリティと大して変わらない気がしてしまう。個人的には。

つまり、成長する=過去を恥じるということなんだろうと思う。だから私にとって、自分が成長したことを明るく報告する機会なんてないのである。あるいは過去を恥じずに言えるときは、何か新しいことに挑戦したときであろう。しかし、「成長した」と言いたいがために何かを始めるもんでもないと思う。それでも何でも成長したい人は、何のための成長なのかをよく考えた方がいいと思う。そもそも成長はどんな場面でも例外なく善なのか。

ここ数日間暑いせいか、昨日財布にお金が入っていなかったからATMでおろさなきゃと言っていたakiさんは、今日財布ごと忘れて行っちゃうし、coopの宅配の人は1階下の家の前に荷物を置いて行っちゃうし。私はこんな記事書いてるし。ま、それは毎度のことだけど。札幌でそうなんだから、連日39℃超えしている地域とかどうなっちゃうんでしょうか。

2013年3月12日火曜日

ひとのきもち

1月にアルジェリア人質事件が起きた。犯行グループが出した声明の中に、目的を達成するためなら死ぬのは厭わないというような文言が入っていた、という報道を聞いてピンと来なかった。そう言えば交渉に勝つと思っているだけで、実際攻撃されるなんて思っていないのではないか、と考えたからである。しかし、akiさんに言わせると、死ぬ覚悟はできているのではないか、という考えであった。ここまで、アルジェリア政府の救出作戦開始前の話。その結末は…

他人の気持ちをわかる、ということは困難である。相手の立場に立ってみることはできても、相手と同じ価値観で考えることができなければ、相手の気持ちを理解することはできない。あるいは価値観はそれほど違わなかったとしても、その状況の切迫感や緊張感を相手と同じように感じられなければ、やはり相手の気持ちを理解することはできない。パジャマ姿で「いやー、恐いねー」とテレビを見ているだけの私が、自分たちの正義を信じて実力行使に出ている人たちの思考や感情を汲むことは、ほとんど不可能だったのである。

一般人の声として、「テロなんて卑劣な手段は絶対に許されません!」というのがあるが、“勝てば官軍、負ければ賊軍”とはよく表現されたフレーズである。偉人の言葉の中には、彼(女)が言ったから取り上げられただけではないかと思えるものもあるが、このフレーズは誰が言ったとしても真実だと思える。

数年前のことだが、「お前は心を開かない」と怒られたことがある。今思えば、「それは貴方と私の間にそれだけの信頼関係がないからではないですか」と反論すればよかったとも思うが、当時馬鹿正直だった私は、心を開く=思ったことを言う、と解釈した。そして、思いつくままに「そんなにこきおろして罵ってばかりいる相手と、一緒にいる意味がわからない。別れればいいのに」と言ったら、「(その相手にも)いいところがあるからくぁwせdrftgyふじこlp」と言っていた。

どうやら、同じ言葉でも人によって定義が違うようだ。彼女にとって、心を開く=彼女の聞きたい言葉(感謝、賛辞など)を言う、ということだったらしい。その場限りの人間関係であれば、適当に多少はお世辞をいうなり悪いことは言わないなり、といった対応をしてもいいが…一方的に気を遣う関係性のまま、さらに相手に優越感に浸らせるようなことをしたくはない、と思ってしまったのは、私が意地っ張りなんだろうか。

後日、「あなたのせいで別れることになりました」とメールが来たが無視していたら、さらにそのあと尋ねてもいないのに「別れたくないと言われたので、別れられない」というメールが来ていた。何て自分本位で他責的な人間なんだろうと呆れていたが、案外少なくないのだろうか。そう思ったのは、大家族の密着ドキュメンタリーの番組を見たときだった。

その番組では、なよなよしたお父さんとしっかりしたお母さんという構図を強調していたが、どうもしっかりしたお母さんという表現には疑問符が。自らも夫の仕事を手伝い、忙しい中食事を作り、というのは大変だろうし凄いとは思う。が、要領よく自分の仕事をこなしていることが、夫に対してどういう暴言を吐いてもいい根拠にはならない。夫に直してもらいたいところは「全部!」と言っていたのが、非常に印象的だった。子供を作ったのも結婚したのも、自分の意思ではないの?天に唾していることに無自覚なのが恐ろしい。

まあ、番組は面白くするためにあえてそういう演出をしているのかもしれないけれど、それを見て共感している人たちが少なからずいるということだろうか。同じ民族でも、分かり合えるのはほんの一部。