2012年12月24日月曜日

踊る阿呆に

最近は書こうかなと思ってもなかなか書き出せずにいる。書いた内容で軋轢を増やさないか、人間性を疑われないか、など思い出すと書く意欲と勇気が湧いてこない。無難なことを書けばいいのかもしれないけど、それなら別に他人に見せる必要もないわけだし、第一、無難って何かね。人様に何かを提示・披露することは、そもそもノーリスクではなかったのか。というここまでの文章は割と無難な気がする。

SNSというのを教えてもらったのは大学生のときで、当時はmixiとGREEに参加していた。色んな知り合いが色んなことを書いていて、自分自身くだらない内容をネタ的に書くのは面白かったけど、唐突に止めてしまった。理由は何だったか。今思うと、発作のようなものだったかもしれない。

Facebookも参加するつもりはなかったのだけど、使いたいアプリがFacebookでしか使えなかったので、仕方なく始めてみた。友達にも知らせずにひっそりやろうかと当初は考えていたのだけど、一人ではいられないという人間の根源的欲求により、気付いたら友達としてつながっている人数は2桁になっていた。知っている人に手当たり次第友達の申請をしている人々もいるんだろうけど、面倒が増えそうなので私は積極的には申請していない。

面倒が増えそうと言っても、揉め事が持ち込まれるとかトラブルになるとかいった意味ではなく、私が勝手に精神的な負担を感じてしまうというだけの話である。話題や展開によってはげんなりしてしまうことがあるのだ。

直接対面してやりとりする分には気にならないことが多い。 それは、リアルタイムの会話では細かいところまで配慮しきれないし、話すまで無自覚だったものが言葉にしたら結構まずかった、というのはままあることだと思っているからだろう。だが、ある程度まとまった意見をネットに書き込むという場合には、考える余裕があるし、発信するかどうかを選択する自由もある。そのような条件下で書かれた文章が、リアルタイムの会話と何ら変わらないと、何故これをネット上で書く必要があったのかと思ってしまうのである。

例えば、「公務員の給料は国民の税金から払われているのだから、無駄にするな」「教師という聖職者なのに、破廉恥な…」というような、『…は〜するべき』を前提とする意見がある。私はこういう意見の出し方に違和感を覚える。この話は裏返すと、(多くの場合)自分はそうではないので義務を負わないと言っているのに等しい。「自分はサラリーマンで給料は国民の税金ではないから、怠けていてもよい。強制わいせつ罪で捕まっても仕方ない」のかしら?

一人の人間としてどうなのかという問題でしかないのに、声高にこのような言い回しをする人は、自分に自信がなく、世間に対して後ろめたい気持ちがどこかにあるのだろう。誰かが自分より劣っていることをアピールすることでしか、自分の存在意義を確認できないのだと思ってしまう。

彼らはまた、他人の過失や責任を問う割には、自分自身の非は認めないことが多い。どうするのかと言えば、他人や社会にそれを転嫁するのである。 自らが小器であることを白日のもとに晒して何が嬉しいのかわからないが、本人達は無自覚なのであろう。

仮に無神経でも無自覚でも、言わなければわからないのだが、気軽に言葉を発信できてしまうというのは恐い。そうか、最近それが恐かったのかもしれない。

2012年11月19日月曜日

そんなわけないこと

1週間ほど前になるが、九州に行ってきた。長崎で大学の同期の披露宴があったのだ。飛行機に乗るのはもう何度目になるだろう。だが、思い返せば1度も一人で手続きして搭乗したことはなかった。なので、今回の往復は結構緊張した。交通機関を利用するだけなのだが。

羽田空港で搭乗口を見つけ、待合いスペースの椅子に腰掛けたら富士山が見えた。あまりにくっきり見えるので、最初は別の山なのかと思った。すると、中学生か高校生の男子3人組が「富士山だー」などと言いながら写真を撮り、バタバタとどこかに帰っていったので、やっぱり富士山だったかととりあえず納得した。

披露宴は恙なく終わった。私(というか地元が長崎ではない人)は知らなかったが、長崎では披露宴で“お鰭(ひれ)”というお吸い物を食事の前に食べるとのこと。この日昼食をとれなかったので、あまり待たずに食べられたのが嬉しかった。そういう人間のための風習ではないのだけれど。余興では、新郎の高校の同級生の方々がはっぱ隊の踊りを披露していたが、歌っている人の無駄にいい声と最後のオチが印象的だった。

それにしても、こういう場で挨拶だの何だのする人たちっていうのは、やっぱりそういう面で優秀な人たちが選ばれているんだなぁ、と感じた。いくつかの場面で求められたが、凡庸な、気の利かない自分のコメントが恥ずかしい。かと言って、新郎新婦の大親友ならともかく、あんまり羽目を外しても…という部分はある。そんなことを書きながら、宴の途中、自分のコップにビールを注いで(加減がわからずに)溢れさせたことを思い出した。「またまた(日本ハムが)優勝したからって」とフォローしてくれる人たちがいなかったら、軽く不審者にしか見えなかっただろうと考えると、本当に恥ずかしい。

帰りは博多に寄ってから福岡空港を利用した。博多から地下鉄1本であっという間に福岡空港に着く。話には聞いていたが、このアクセスのよさはスゴい。改札を出ると、女性の案内係が二人いるのが見えた。福岡空港っていうのは色々他とは違うんだな、と思いつつ、第1ターミナルと第2ターミナルのどちらに行けばよいのか確認しようと案内を見ていたのだが、案内係の人の声がさっぱり聞こえてこない。振り返って見たら、彼女たちの正体が柱に貼られたポスターに写った女性であることが判明した。あとで「だって、太くて丸い柱だったし、等身大だったんだもん」と自分なりに分析したことを話したが、akiさんは「あー、あるあ…やっぱりないわー」といった反応で、理解を得られなかった。

2012年10月30日火曜日

超人ジャック

辛いことや苦しいことはブログには書かないようにしていたのですが…なんてことは一切ないので、ちょっとした病気の記録を。

10/13
外出後、帰宅してから胃が痛くなった。熱を計ると37℃ぐらいの微熱。慣れない場所に行ったので、疲れたんだろうと思っていた。

10/14
胃薬やウィダーインゼリーなど買ってきてもらう。熱は下がらないけど、大した熱でもないので風邪薬は服用しない。胃薬を飲んだら、多少楽になったかも。

10/15
午前中も熱は上がっていない。カロリーメイト2本食べたら、胃が痛くなってきた。やっぱり胃がやられたのかと思ったが、夕方になると熱が38℃を超えてきた。あまり胃に負担にならないようなものを食べ、風邪薬を飲む。布団を被ると暑かったので、薄い毛布だけをかけ、下半身を冷やさないようにして寝た。

10/16
夜中の3時過ぎに目が覚める。寒くて体が震える。布団を被ってみたものの、震えが止まらない。温かいものでも飲めばよいかと、ケトルに水を入れて沸かす。コップにお湯を入れる。コップを傾けて一口ずつ飲む。コップを持つ手の震えも止められない。少しは体が温まっただろうか。ガタガタ震えながら布団に入って横になる。いつの間にかウトウト。起床時の体温は38.4℃。ついに病院へ。

医師に自覚症状を説明すると、腰のあたりが痛くないか訊かれた。普段から全身が凝っているような感じなので、あまり意識していなかったが、背中をポンポン叩かれると、右側で腹に響くような感覚が。 それで尿検査と血液検査を行うことになった。

検査結果を待っている間、点滴を受けた。人生初点滴。検査結果によっては抗生物質を追加するとのことだったが、当然のように追加。2時間ぐらいかかると説明されたが、実際には3時間ぐらいかかった。最後の方では、看護師さんが「ちょっとスピード上げますねー」と言って、点滴液の垂れる速度を上げていた。途中で、隣のベッドに若い男性が来た。彼はサラリーマンのようで、点滴は何時に終わるか、緊急でかかってきた携帯には出てもいいかなどを看護師さんに確認していた。恐るべし、サラリーマン。

そして、検査の結果、腎盂炎と診断されたのだった。ここ数日、尿がやたら濃いのは疲労のせいだと思っていたのだけれど、尿検査の結果、蛋白が2+、潜血が2+、白血球が多数(“タスウ”と書かれていた)検出され、細菌も検出されていた。小学生のときは、よく尿検査で引っかかっていたけど、こんなの初めて(・o・)血液検査はA/G比、K、CRP、白血球数が基準値を外れていたが、大きく外れていたのはCRP(4.36;基準値0.30以下)と白血球数(12800;基準値3500〜9700)。

というわけで、クラビット錠500mg(1日1錠)とボルタレンサポ50mgが処方された。後者は解熱のための坐薬。人生初坐薬。帰宅したら熱が39℃を超えていたので…入っているのか出ているのかわからない変な感触。一旦熱は下がったが、夜になってまた上がってきたので再度…翌日午後に40℃を超えてしまったのでもう1個使用したら、ようやく熱が引いた。足りなくなるかと思って焦ったが、杞憂に終わってよかった。

10/18
坐薬の効果があって、熱は37℃台でキープ。 しかし、前日から腹痛が。お腹を下しているわけではないのだが、食後にはトイレに行きたくなる。副作用というほどではないのか。

10/19
午後から病院。また尿検査&血液検査。尿検査では潜血2+、細菌と移行上皮が検出。血液検査では白血球数が正常に戻る(6600)も、CRPが戻っていなかった(4.73)。よくなっているのかなっていないのか、いまいち実感しにくい結果。腹痛やら何やらはクラビットの副作用のようだったので、薬がオラセフ錠250mg(毎食後)とビオスリー配合散(毎食後)に変更。胃腸が弱い人には強い薬が処方されたとき、胃腸薬も一緒に出されることがある、と後からakiさんに聞いた。普段、あまり腸が弱くて困ったことがなかったからな…というわけで、最近は夕食後に新ビオフェルミンS錠を飲むようにしたら、前よりも快腸のような気がする。

10/24
午前から病院。10時頃に行ったのに、終わったのは12時前だった。尿検査ではまだ潜血があったものの、血液検査ではCRPが0.52まで下がった。前回通院から整腸剤を飲むようになって、ようやく患部周辺の鈍い痛みを感じられるようになったのだが、この頃にはすっかりその重い感覚も無くなっていた。

それからもう1週間ほど経つが、特に異常はない。腎盂炎は女性には割とよくある病気らしい。でも高熱はなかなか引かないし、腹のあたりは痛くなるしで本当に治るのか不安になったことも…この調子では、大病を患ったら(図太いので長寿だろうと周りから思われている割には)案外あっさり参ってしまうのではないだろうか。

安静にしている間、暇だったので今更ながら『24』のシーズン1(家に置いてあったDVD)を鑑賞。24時間も費やして見る価値はないだろうと思っていたのだが、思ったより面白かった。そう伝えると、ずっと『24』を観たがっていたakiさんは、張り切ってTSUTAYAからシーズン2を借りてきた。 当分『24』に支配された生活が続くのだろうな。

2012年10月9日火曜日

NO IMAGE AVAILABLE

10月5日、日本ハムのホームでの最終戦があった。先発は斎藤佑樹。今まで生では見たことがなかったな、と思い試合を観に行った。序盤こそ好成績であったものの、中盤以降は調子を落とし鎌ヶ谷へ。そこでも結構打たれていたので、やっぱり駄目なのかもしれないと思っていたら、終盤でそこそこの成績を挙げ、一軍登録。9月30日の試合は負けたけど、中継ぎで1イニング無失点。果たして先発として機能するのか…?

いやはや、正直期待はしていなかったのだけれど、あんなにボコボコに打たれるとは。2、3、4回はよく打ち取れていたと思ったけど、1回と5回の内容じゃ登録抹消は宜なるかな。斎藤が打たれた1回表と三者凡退の1回裏が終わって30分が経過していた。ここまでで物凄い疲労感。“歩く遅延行為”とか言って森福の軽口を叩いていたけど、この日の斎藤にも同じテンポの悪さを感じた。

斎藤は5回途中、2アウト一、二塁の状況で降板。ベンチに戻るシーンが、伊藤智仁の最後の試合の映像と重なった。悲壮感は段違いだけど。中継ぎは、根本、乾と一軍での登板実績があまりない投手だったにもかかわらず、この日はさらっと3アウトをとっていた。それとの比較もあって、斎藤の投球内容への印象がますます悪化…。

相変わらずネットでは、斎藤をけなす声が続々。「お前のせいで出場機会を得られないピッチャーが…」とか「辞めさせろ」とか「チームでも孤立してるんでしょうね」とか。そういう僻んだような歪んだコメントする人たちって、どういう思考回路でそう言うんだろうか。贔屓以外のチームの選手ならグダグダでもどうでもいいし、贔屓のチームの選手なら(優勝が決まっているせいかもしれないけど)来季頑張れってぐらいじゃないのかな。

メディアのおかげで、努力もせずにちやほやされているようなイメージができたからなのか、正義ぶった人が正論めいたものを唱えたいみたいだけど、例えば出場機会については、圧倒的な実力があればボーダー付近で争う必要はないわけで。かえって二軍の選手をバカにしているような。

それにしても、開幕投手として勝った選手を微妙な状態でホーム最終戦の先発に出すなんて、結構鬼畜なチームだなと思ってしまった。粋な取り計らいだなんて全然思えなかった。ちなみに、序盤20打席以上ノーヒットだった4番中田翔。前半の打率は2割にも届かず、それでも今までずっと一軍のスタメンだったけど、(一軍から外されないよう)せめて守備だけはとかなり練習していたらしい。その結果として、補殺数がリーグトップなのか。当たり前だけど、プロって大変だね。

2012年9月8日土曜日

うっかりSeptember

うっかりしていたら9月だった。

最近、いじめ関連のニュースをよく耳にする。いじめで自殺ということについて、環境を変えれば逃げられたんじゃないか、と思う一方、当人から見える世界の中には逃げ場所がなかったのかなぁ、とも思う。学校に行きたくなければ、家に引きこもるという選択肢だってあるはずだ。いじめる側が放火も厭わない連中だったら、もはやそれは犯罪以外の何物でもないが、引っ越すしかないかもしれない。それとも、逃げるというのは敗北を認めたことになるのだろうか。

周囲を見渡したとき、通り一遍の価値観だけを語り、その価値観にそぐわないものは理解しがたいと目を向けない人しかいなければ、生きにくく感じるだろう。理解できない方が悪いのだと開き直れるほど、図太く生きられればいいのだが。図太い人は長いものに巻かれていたり。世の中はアンバランス。

テレビを見ていたら、小学校でいじめ防止を呼びかけたという内容で、集会の映像が流れていた。こども達が声を合わせて、「いじめを見たら『やめよう』と言おう」というような標語を唱和している風景。不気味だった。この標語で効果があるなら、そもそもいじめという状況が発生しないだろう。もしいじめが発生したら、「それでもみんなで『やめよう』と声を掛け合ったので、いじめはなくなりました」と声高に報告できると考えているのだろうか。

「自分で自分の身は守れ、って言うしかないよ」とakiさんが作業しながらポツリと言ったら、「自分の身は自分で守りましょう」と言っている中年男性がテレビ画面に映っていた。学校側がこんなに率直にものを言うのは珍しいと思い、「自分の身は自分で守れって言ってるよ!」と興奮気味に伝えたら、「もうこれ別のニュースだから」。防災教育の話題だった。9月になってもうっかりしている。

2012年8月26日日曜日

モヤッとサマータイム

今朝、akiさんと何でだったかエアガンの話をしていて、何でだったかレーガンの話になった。「そういえば、まだレーガンって生きてたっけ?」と訊かれたが、知らなかったので「私たちの心の中ではずっと生きてる」と模範的な生徒のように答えた。そこそこ付き合いが長いので、「そういうことじゃなくて」とツッコんでもらえたが、あまり面識のない人に同じことを言ったらどうなるんだろう。「お、おう…」と戸惑いと若干の恐怖の混じった表情で応じられるだろうか。

昼ご飯を食べてからイオンに行った。久しぶりにケーキを買おうとショーケースを見ていたが、こどもが障害物になって中が非常に見づらかった。幼稚園に通うぐらいの年齢と思しき姉妹が、靴を履いたままショーケースの縁に登っていたのである。母親は注意の素振りも見せない。少子高齢化が問題だといっても、程度の低い親子を何の計画性もなく増殖させて、国にとっても個人にとっても意味があるのだろうか…などと意地の悪いことを考えたり。

歳をとったら可愛いおばあちゃんになりたい、と口にしたこともあるが、今のところそんな風に進化する気がしない。どちらかというと、いじわるばあさんになりそうである。可愛いおばあちゃんになれなくても、一貫性があって突き抜けていれば、いじわるばあさんでいいのかなとも最近は思う。

尻すぼみな文章。

2012年8月12日日曜日

とある家庭の不快害虫

以下、その不快害虫をGとする。

去年の夏は1回も遭遇することのなかったGであったが、今年の夏はGにお世話になることが度々あった。お世話になるというか、見かけたらこちらが一方的に始末しているだけだが。

Gを最初に見たのはいつだっただろう。小学生のとき、乾いた洗濯物を取り込んでいたら、足の甲に黒黒した物体がピトッとくっついて、頭の中が真っ白になった思い出はある。あのヒヤッとした感覚は、それ単体なら気持ちよかった気もするのだが、何せくっついているものの形状が悪すぎた。

Gは基本的には森の生き物で、人間の家屋に出現するのはわずか数種類とのこと。こどもの頃、生き物は外敵に食べられないために毒々しい色をしている、とか、メスを惹きつけるためにオスは派手な出で立ちをしている、とか聞いたように思う。でも、家に出るようなGはどうして人間に気に入ってもらえるような形状にならないんだろう。オオルリアゲハみたいな虫だったら、問答無用で殺される回数も減りそうなものだけど。

Gに対して人間が恐怖を覚えるというのも、よく考えてみれば変な話である。Gが人を恐がっているならわかるが。Gは殺人剤を持って走ってくるわけでも、金属バットを振り回してくるわけでもないのだ。

ちなみに、私が恐怖を覚えるようになったのは、祖母の話を聞いてからである。そこは田舎の方の家だったらしいのだが、台所の至るところにGがいて、食器にもGの糞がついていたらしい。しかし、住人は気にせずご飯やら味噌汁やらよそい、ご馳走になるのを断れるような空気でもなかったので、変な臭いがするのを我慢して食べたとか。真相は不明だが、ともかく祖母はそう捉えたのである。

そのときのトラウマのせいか、祖母はGの侵入を阻止すべく非常に気を遣っていたようだった。それでも時々は現れていたらしく、対策用品について「あれ効くっていうから買ったのに、全然効かへん」とこぼしたりしていた。

Gについては「衛生面で問題があるのだから、絶対に退治しないといけない」という意見が多数のようだが、一方で「単なる虫だし、汚いと言っても洗っていない手と大して変わらない」という話もある。先ほどは見た目を問題にしたが、もしGがカブトムシのようにのそのそ歩く生き物だったら、それほど目の敵にされなかったかもしれない。あの素早さは、見つかってはまずいことを何かやっていたのではなかろうか、と思わせるものがある。少なくとも私にとって。

人間だって排泄するし、美味しいものや安いものに群がったりもするのに、Gが原始的な形で同じことをするのには嫌悪感を持つ、というのは理不尽だろう。同族嫌悪かもしれない…などと御託を並べてはいるが、Gと共存する気はない。この世は弱肉強食であり、我々は日々闘っていかねばならないのだ( ー`дー´)キリッ

2012年7月10日火曜日

Get Wild

土曜日、円山動物園と札幌ドームに行ってきた。そういうツアーがあったのだ。記念グッズなども含めて大人1人3,000円とはなかなかおトクではないだろうか。札幌駅で集合、バスに乗ってまずは円山動物園へ。

円山動物園では、ボランティアガイドの方に案内してもらった。ガイドさんは8人いて、1人のガイドさんにつき5人ごと「適当に分かれてください」と言われたが、受付のときは動物園ではDグループだかEグループだかと聞いたような…しかし、日本人なら長いものには巻かれろ。最初に「行きますよー」と手を挙げたおじさんに付いていくことにした。このグループは10人もいた。

ガイドさんがいると、見るのが楽だ。まず、「あれ…いる?…見えないけど…」というような戸惑う時間がない。動物にまつわるエピソードなんかを聞けるのも楽しい。シンリンオオカミのこどもたちに日ハムの選手の名前がついているというので、ガイドさんが「誰だと思います?」と質問したら、レンジャーズのダルビッシュのユニフォームTシャツを着たおじさんが「鶴岡?」と答えた。何故、あえて中堅の選手を選んだのか。(ちなみに答えは、ショウユウキであった)

去年、旭山動物園には行ったが、円山動物園も動物を近くで見ることができてなかなかよいと思った。それほど規模も大きくないかと思っていたが、案外広い。何より人だかりが全然ないのがよかった。お昼時になった芝生の上では、弁当を広げている家族が多くいた。動物園ではなかなかお目にかからない光景。

再度、バスに揺られながら札幌ドームへ。この日の試合は日本ハム対ソフトバンク。日本ハムの先発は吉川、ソフトバンクの先発は高卒ルーキーの武田。ガイドさんが「今日は日ハム、勝ちそうな気がしますねぇ」と繰り返し仰った甲斐あって、5対0で負けた。1試合にヒット3本!チームで猛打賞だぜぇ〜?ワイルドだろ〜?

2012年6月19日火曜日

真昼の野次さん

先週の金曜日のことだが、鎌ヶ谷に行ってきた。鎌ヶ谷には鎌ヶ谷スタジアムがあって、日本ハムの2軍選手たちが見られるのだ。この日は楽天×日本ハムの試合があって、それまでのローテーションを考えると先発は矢貫かと思われたが、やっぱり矢貫だった。私はにわかファンなので、実は彼のことはよく知らない。が、去年1軍でも試合に出ていたムードメーカーと評判の杉谷とか、下半身ムッチリで捕手として期待のルーキー近藤とかは見ておきたかった。その上に、画伯のピッチングが見られればラッキーだな、と。

6月15日は、県民の日とかいうので平日昼からの試合なのに駐車場はいっぱいだし、観客席も6、7割程度が埋まっていた。その日が県民の日だったことは球場のアナウンスで知ったので、最初に観客席を見渡したとき、こどもが多いけど学校はどうしたのかと思った。

2軍の試合を観にくるなんて女性はあまりいないかと思っていたが、案外いるものである。前の方の席に座っていた結構いい歳のおばちゃんが、「ゲッツー狙ってー」のような声援を送っていて、年季が入ってるなと感じた。

しかし、基本的に声援や野次は男性のものの方が多い。可愛いのもある。近藤が打席に立っていたとき、高い声で「自信を持ってー」と聞こえてきた。試合しているのは、少年野球チームじゃなくてプロなんですけどね。微笑ましくて笑ってしまった。かと思うと、後ろの席にいたじいさんたちは「プロみたーい」と野次ったり。ひどい話である。

じいさんたちは、どちらのチームも野次っていたので、誰かが「どっちの味方なの?」と訊いていた。「我々、勝っている方の味方だから」「いつでも気分良く帰りたいし」。うんうん、長生きできる秘訣だね!

球場では、かき氷や焼きそば、ソーセージなんかが売られていた。かき氷は1杯100円で、祭りの出店なんかで売られているよりはかなり良心的な価格。唐揚げとポテトのパックも買ったが、こちらは1パック500円で、こっちで利益を稼いでいるんだと思う

テレビの編集映像は見たい角度から見られるとか、効率よく観戦するにはいいんだけど、試合の緊迫感やら興奮は生で観るに限る。それに2軍は育成と割りきっているので、勝敗も気にならず純粋に試合の流れを楽しめる。1軍ほど興行臭もなく、地方の球場でまったりしているのも個人的には好き。試合の途中でラジオ体操が始まったり、チアの代わりにこどもたちがダンスしていたり。この日もそうだったが、ラジオ体操はいつも途中で終わってしまうらしい。後ろのじいさんが「ここからがいいところなのに」と言っていた。よくそう絶え間なく言葉が出てくるもんだ。

見たい選手は全員見られたのでよかった。試合は負けたんだけど。楽天打線、恐いです(^q^)

2012年6月12日火曜日

DARADARA100%

急に思い立って古い知人たちに連絡してみた。

この年齢になると、結婚やら出産やらの話題も当たり前のように出てくるが、中学時代からの友人(女性)もこの秋に結婚するそうだ。それにしても、お相手が4歳下というのに驚いた。今時はさして珍しくないかもしれないが、学生時代はどちらかというとほんわかしたタイプで、社会人になってからも「旦那ぐらい私が養ってあげるわ!」などと言いそうな強気な感じの人ではなかったので、意外だった。

この年齢になると、年上でも体だけ発達したこどものような人もいるし、逆もまた然りであることぐらい頭ではわかるのだが、それでもやっぱり不思議な感覚である。百聞は一見にしかず。会ってみないと、何とも言えないか。お相手の苗字があまり聞き慣れないものだったので、思わず「珍しい苗字だね」と返してしまった。案の定、「mikiちゃんほどではないけど^^」とのお答えが。

昨日は、以前勤めていた会社で退社後もお世話になっていたSさんご夫婦にお会いした。私が辞めるとなったときに、後任として入ってこられたのが奥さんで、会社では1ヶ月ほどしかお付き合いがなかった。akiさんと同い年の息子さんがいらっしゃるSさんなので、私とは本当に親子ほどの歳の差があるのだが、その年代の方と夫婦ぐるみのお付き合いができるというのは、私としては珍しいことである。

居酒屋で4人でまったりしていたのだが、akiさんが私について「歌が上手い」と言ったのがきっかけで、カラオケに行くことになってしまった。自分は1音も発しないくせに…(´・ω・`)奥さんに「お父さんやお母さんと来ていると思って歌えばいいのよ」と言われ、「あ、そんな風に考えると、かえって歌えません…」と恐縮する私。こういう状況で一体何を歌えばいいのだろう。

よくわからないので、山口百恵とかカーペンターズとか適当に有名っぽい曲を歌った。『未来予想図Ⅱ』が意外と好評だった。ご主人が『卒業写真』の特徴的なリズムの歌い出しを流れるように歌い、奥さんが「違うわよ」と言って教えるように一緒に歌っていたのが面白かった。奥さんは昔ウグイス嬢をやっていたからか発声がよく、『ひまわり娘』を歌っていたのだが、歌詞とともに流れる映像を見ながら、「ひまわり娘って言いながら、この花ひまわりじゃない」と冷静に指摘していたので笑ってしまった。

今日はのんびりしてしまった。天気も悪いし、寒いし。明日から活動しよう…。

2012年6月8日金曜日

ひとつのサイクル

美容室に行ってきた。いつものことだが憂鬱だった。美容師さんとの他愛もない会話が苦手だからである。akiさんはそういうのが好きらしい。
「黙ってるのも気まずいし…」「別に気まずくないもん」
きっと話題の引き出しが多い人には楽しいひとときなのだろう。私が嫌だ嫌だとしつこく言うので、しまいに「オレ、何か変な人と結婚したのかな…」と言い出される始末。まあ、残念ながら。

今行っているところでは、ずっと担当の人は固定である。特に何が気に入ったから、というわけでもないが、インターネットで予約したら自動的に固定されていた。そもそもこの美容室にしたのが、初回以降は電話でなくインターネットで予約が済ませられるから、というコミュニケーション嫌いらしい理由である。ネット予約の方が美容室側も楽だと思うんだけどな、と自分を正当化。

そんなこんなで渋々美容室へ。美容師さんに、前回来店したときの王将の話題を振られてびっくりした。その時の話は、近所の王将が全国一の来店客数を誇っている、とか、王将は無性に食べたいときに食べに行く、などという話。そこから始まって、食べ物の話題が多かった。とは言っても、ほとんど美容師さんが喋っていたのだが。銀だこのたこ焼きの油でカリッと揚がった感じより、イオンの中にあるたこ焼き屋のフワッとした感じが好きだとか。一方、私は「大阪出身なんで、たこ焼きは自分で作る派です!」などと話題を広げるでもなく、「そうなんですねー」とか。

パスタが好きだと言ったら、どういうソースが好きかと訊かれたので、「バジルです」と答えたら、「ああ、いいですよね〜」「20代のときのマヨネーズ並に色んなものに使ってますよ」「ラーメン屋のチャーシューみたいに、バジルも追加できたらいいのに」と色々な言葉が返ってきた。なお、私はそういった反応に「えへへ」とはにかんでいただけの模様。

そういえば、科学界のインディ・ジョーンズの話もしていた。そんな名前、私は初めて聞いた。「決まった番組しか見ないもので…」「決まった番組というと?」「今、『渡る世間は鬼ばかり』の再放送を見てるんですけど」…何だろう、この受け止め切れない感じは。

髪のブローも終わって、最後に「このあとどこか行くんですか?」と訊かれ、(ノーメイクのこんな適当な格好でどこへ行けるというのだろう)と思いつつも、「いえ、特には…」と答えたら、「そういう何か無になる時間みたいなのも必要ですよね!」と言われた。私の反応の薄さではそう言うしかないのだろう。こだわりも趣味もなくて申し訳ない気がした。《最初に戻る》

2012年5月27日日曜日

戦いのあと

今日はファイナンシャル・プランナーの試験だった。会場はC工業大学。同じく今日試験日のTOEICの試験会場ともなっていた。

TOEICはこれまで2回ほど受験したが、成績がぱっとしないのでまた受けたいと思わない。成績をよくしたいなら勉強すれば、と言われるだろうし、それは正しいと私も思う。が、英語に関しては、勉強して高得点を狙う気になれないのである。その成績が昇進やら何やらに響くという切迫した状況でもないし。赤ん坊が自然と身につけられるものを、大人になって必死に勉強するのが癪だと思ってしまう…大人が思っている以上にこどもの努力が凄まじいのか。まあ、すべて英語を勉強したくない言い訳にしかなりませんね。

ファイナンシャル・プランナーは、身の回りの色んな法律やら何やらを知る足がかりとして勉強した。誰でも受けられるし、他の有名な資格よりも断然敷居が低い。と言いつつ、独学で挫折しかけて予備校にちょこっと通ったわけですが。独学でわかりづらかったところがわかって、どこに重点をおいて勉強すればいいかがわかったという点で、予備校に行ったのはよかったと思う。

会場には早めに着いた。教室の位置も割とすぐわかった。30分前からしか入室できないというので、テキストを読み返しつつ教室の前で待つこと20分ほど。入室して黒板で座席の位置を確認すると、入り口から見て左端の先頭の席。机の上には既に解答用紙が配られていて、よく見ると受検番号やカナ氏名が印字されていたから、その席だと確認できた。受験番号のマークって結構手間だと感じていたが、こういう方式だと楽でよい。

試験場に来ると、気になるのが自席の周りの人たち。汗臭いとか貧乏ゆすりが激しいとかだったらどうしようかと。こういうのは大概試験に支障ないレベルだからどうにもできないけど。今回はさほど酷い人はいなかった。ただ、後ろの席の男性が咳をするとき口に手を当ててくれないのが気になった。

横に貼ってある掲示物を見ていたら、“掃除する相手の立場を考えて”という標語のポスターがあった。こんな掲示物が大学に貼ってあるものなのか。そう思いながら、試験開始。午前の試験は60問のマークシート。予備校では大体30問を15分程度で解いていたが、本番も30分程度で終わった。もう1回見直すか、と机の裏にくっつけていた太ももを離そうとしたとき、スカートが机の裏から離れないことに気づいた。(え…)と思ってスカートと机の接着面に手をやるとベタベタしたガム。えいっと引き剥がすと、ほんのり漂うジューシーな香り。ポスターが貼られるわけもわかったし、ポスターの意味がないということもわかった。早くスカートを洗いたかったが、1時間経過しないと途中退出できないので、残り30分を悶々としたまま過ごした。

昼ご飯は駅前のケンタッキーで食べた。ファーストフード店に行くとよく目にする光景だけど、1人で2つテーブルを使う人たちって何なんだろう。今日などは3つ、4人用の席があったのに、そのうち2つを女性1人ずつで使っていて、家族連れが他の席を探しに行くとか。5,000円ぐらい食べるなら場所代を主張してもいいかもしれないけどねぇ。こういうことで疑問を持ってしまう私は、レストランとか席まで案内してもらえる店の方が気楽でいいのかも。お嬢だからね。仕方ないね。

午後の試験も同じ席で受けたのだけど、試験が始まる前に、係の人が隣の女性に「後ろの席が空いているので」という案内をして、女性は後ろの席へ移った。その後の試験官の説明を聞いていると、多分空調が直接あたって寒いというような理由かと思われた。私はガムのくっついた机を使って、後ろの人の咳を浴びながら受けているのに(;_;)まあ、でも机の裏に太ももをくっつけなければいいだけだしね。シャドーボクシングみたいに咳も避けてればいいだけだよね。

午後の試験は制限時間が1時間なのだが、途中退出が認められていない。30分あれば見直しまで終わってしまうのだけど。暇なので、計算問題の誤っている選択肢がどのように計算されて出る数値なのか確認したり、シャープペンシルにくっついているエゾモモンガのイラストを問題用紙に転写したりしていた。午前も午後も何で1時間は教室にいなくちゃいけないんだろう。そういう忍耐力もファイナンシャル・プランナーには必要なのか。

やらなきゃいけないことがひとつ終わったので、一安心。今夜はぐっすり眠れそう(つ∀-)

2012年5月13日日曜日

女房と家電は―

うちにある電子レンジ、炊飯器、洗濯機はakiさんの独身時代から使っていたものをそのまま使っている。しかし、電子レンジはオーブン機能が弱いことが判明、炊飯器は内釜の塗装が剥がれてきたし、洗濯機も時々最後の力を振り絞るかのようにガタガタいいだしたので、買い換えることにした。

私が買ったことのある家電は、CD・MDコンポとドライヤーぐらいである。それらを選んだポイントも、店のオススメであったか価格の安さぐらいしかない。「こんな機能があるといいな」とか「これだけは譲れない」といったポリシーめいたものが、一切ないのである。そんな私とは対照的に、akiさんは商品について色々リサーチし、これだと自分で決めたものを買うタイプだ。結婚後もちょくちょく家電を買い足しているが、その決定はすべてakiさんが行っている。私はただ使うだけだが、不満を感じたことはない。こだわりがないのに不満があるはずもないが。

akiさんがイオンに行ったとき、いくつかのメーカーのパンフレットを持って帰ってきた。ほとんど自分が使っているものだし、(見ないと悪いかな)と思って布団の上で検討していたが、最近の電子レンジは機能がやたらと多くて選べる気がしなかった。トースターとして使うことも考えていたので、両面自動でトーストできるというのを軸に探し、最終的に「これがいいと思う」とakiさんに提案。したところ、「これはその分、オーブンとか他の機能がイマイチじゃないかな?今使ってるのと似た感じかも」と言われ、自分の唯一のポイントが否定されてしまった。結局、「じゃあもう分かんない。選んどいて」と丸投げ。

今日は2人でヤマダ電機に行ってきた。私が覚えているのは、最近の5.5合炊きの炊飯器の奥行きが無駄に長いこと、可愛いオーブントースターがあること、色々な形の電子レンジや洗濯機があるということである。興味なさすぎぃ。往復で9kmほど歩いたが、途中で寄ったモスバーガーで注文したメロンソーダとフレッシュバーガーのさっぱり感が心地よかった。

少しくたびれて帰ってきて、急いでテレビをつけたら、日本ハムがまた西武に先制されていた。敗色濃厚だったので、途中から寝室に移動してゴロゴロしていた。いつの間にかウトウトしていたらしく、目覚めたときにはやっぱり負けていた。ショート金子の離脱が大きいのだろうか。ソフトバンクは14安打もして2点しかとれず負けているし、中日はセットアッパーの浅尾が1点とられて引き分けになったり、そうそう思い通りにいく試合なんて…

そんなこんなで、家電は何を買うか決まった模様。ありがとうございます(^^♪

2012年5月11日金曜日

安全神話

今朝、akiさんから驚くべきことを聞いた。夜中の1時頃、まだ眠れずにいたakiさんが、「筒香」というはっきりした私の声を耳にしたと言う。筒香というのは、横浜DeNAの期待の若手選手で、昨日の試合ではタイムリーヒットを打っていた。私も起きている間は、ベイスたんというブログペットの真似をして、「つ、つ、つ、つ、つつごう♪」とDJ風に歌ったり?していたが、まさか寝言でそんなことを口にするとは。「よっぽど横浜が好きなんだなー、と思って」と言われたが、普段は日本ハムの応援をしているつもりである。ただし、最近は負けそうな(得点できそうもない)雰囲気の試合だと、他球団の試合を観戦するようにしている。これだと、劇的なサヨナラ勝ちの瞬間を見られない可能性があるが…うーん、ファンとしてはあるまじき行為か。

これもakiさんから聞いた話だが、私は寝ている間の移動距離が凄いらしい。最初はゆっくり寝返りを打つぐらいなのだが、いつの間にかゴロゴロと高速回転で隣の布団に侵入してくるそうだ。起きる頃には自分の布団の上にいるので、そんなに動き回っているとは知らなかった。こどもの頃は、自分でも寝相の悪さを自覚していた。例えば、朝起きると枕と反対側に頭があったり、夜中にふと目を覚ますと隣に寝ていた子とあわやキスしそうになっていたり。中学生になって以降は気づく機会がなかった。しかし、三つ子の魂百まで。親子が川の字で寝る、とはよく言うけど、みんな寝相がいいのかしら。私が同じことをしたら、こどもの命が危なそうだ。

2012年5月8日火曜日

ぷろろーぐ

長年FC2ブログを使ってきた。それより前にもブログを書いていたが、若気の至りで消してしまった。勿体ないようにも思うが、もしそのブログが今残っていて読み返してみたら、きっと恥ずかしくてやっぱり消してしまった気もする。FC2ブログも大学時代からしこしこ書きためて、今や立派な無用の長物と化した。勿論、そちらでも恥を晒してばかりである。しかし、初期の頃と最近では恥の質が変わった気もする。それを成長と呼ぶのか、経年劣化と呼ぶのかは人それぞれであろう。

ずっとブログを「です・ます」調で書いてきたのだが、そろそろ窮屈になってきた。そもそも、何故「です・ます」で書き出したんだろう。人に見せることを意識したからだろうか。以前、同級生たちと会食の機会があったとき、先輩にあたる数歳年上の人について「〜とか意味不明なことを仰って」というニュアンスの発言があった。丁寧な言葉遣いの悪態というのは奇妙である。私のブログが綺麗事ばかりならともかく、そうでもないのに「です・ます」調というのも、やはり不自然な気がしてしまう。だが、同じブログで急に言葉遣いを変えるのは、どうにも締まらない感じで嫌だった。

過去の記事を読むのに、2005年11月から2012年5月までの記事が月別アーカイブとして何十ヶ月分と並べられるのも、いい加減見づらくて止めたかった。ツールなどでいじれば見やすくできたのかもしれないが、どうもそういうスキルに乏しいもので…そうして、夫に教えてもらったのがこのブログである。日頃「パソコンの大先生」と呼んでおちょくっている尊敬している夫だが、こういう情報もどこで仕入れてくるのかとても詳しい。

ブログのタイトルも少し変更した。前のFC2ブログ“のんびり気まぐれ猫ブログ”のことを、友人たちは「猫ブログ」と省略して呼んでいた。長すぎるから仕方ないとは言え、私は“のんびり”と“気まぐれ”の単語が自分を表す重要なファクターだと考えていたので、当時は残念でもあった。それから数年経って、私自身が(確かにこのタイトルは長い)と思うに至った。だが、完全に前のタイトルの名残がないのも寂しい。そこで、“のんびり”の‘の’と“気まぐれ”の‘き’をつなげて“軒猫ブログ”としたのである。結局、「猫ブログ」と省略されるだろうが、まあどうでもいい。

今後ともよろしくお願いしますm(_ _)m